るっく&WALK

NO.195 上毛かるた「へ」の札(2018年7月号)

へ:平和の使徒(つかい) 新島襄

許諾第05-010901号

るっく&WALK in 安中市

新島襄が描いた夢

新島襄は、1843年、安中藩の武士の家に長男として生まれました。子どものころから漢文や蘭学などを熱心に学び、書物を通して知る世界へのあこがれを強めていきます。

江戸幕府によって海外への渡航が厳しく制限されるなか、21歳の新島襄は函館港から隠れて外国船へ乗り込み、日本から脱出。船を乗り継ぎ、アメリカへと渡りました。

「安中教会」の写真

安中教会の見学は3週間前までに予約が必要です(TEL 027-381-0680)

アメリカでの生活は9年以上におよび、高校、大学さらに神学校を卒業し、牧師の資格を得ました。日本ではこのころ江戸から明治へ時代が転換。密出国の罪は、アメリカへ来た明治政府の使節団によって許されることになります。日本の将来のため、キリスト教精神のもと自治・自立を尊ぶ人材を育てたい。そう考えた新島襄は、帰国を決意しました。

日本に帰ったあとの新島襄の足跡をたどって、ほぺたんは安中へ。当時の建物を保存した「新島襄旧宅」では、写真や遺品とともに新島襄の生涯が紹介されています。帰国したばかりの新島襄は、この家で10年ぶりに両親と再会したのだとか。滞在していた3週間、近くの「龍昌寺」などに人々を集め、講演を行っていたそうです。

当時の建物を保存した「新島襄旧宅」の写真

新島襄旧宅を見学(月曜休)

鐘が並ぶ「龍昌寺」の写真

鐘が並ぶ龍昌寺

新島襄の夢は、良心と自由に満たされた学園と社会をつくることでした。京都府顧問であった山本覚馬の支援を受け、1875年、京都に同志社英学校を設立。覚馬の妹、八重と結婚し、妻とともに女学校をつくり、女子学生にも教育の道を開きました。

学校の運営に奔走するなか、1878年、ふたたび安中を訪れます。このとき30人が新島襄から洗礼を受け、「安中教会」が設立されました。地元の老舗醤油屋「有田屋」の3代目当主、湯浅治郎はこの30人のうちのひとり。彼が開いた日本初の私設図書館「便覧舎(べんらんしゃ)」で、礼拝が行われていたそうです。

便覧舎址の碑の写真

便覧舎址の碑

今も日曜に礼拝を行う新島襄記念会堂の写真

今も日曜に礼拝を行う新島襄記念会堂

新島襄は、1890年に亡くなる直前まで布教と教育の発展に尽くしました。死してなお教え子から慕われ続け、安中教会では没後30年を記念して「新島襄記念会堂」がつくられました。その正面玄関の上には、新島家の家紋「根笹」のレリーフが飾られ、いかに新島襄が敬われていたかがしのばれます。

上毛かるたでは「平和の使徒」と謳われる新島襄。彼のもとで学び、安中教会で38年間牧師を務めた柏木(かしわぎ)義円(ぎえん)は、戦時中も平和主義をつらぬき、反戦・非戦を訴え続けました。さらに、戦後まもなく安中ではキリスト教精神を教育の基礎とする新島学園がつくられ、新島襄が伝えた教えは新たな世代へと受け継がれています。

編集だより

安中で180年以上続く老舗醤油屋「有田屋」の写真と2種類の「みたらしだんご」の写真

安中で180年以上続く老舗醤油屋「有田屋」。店内には、天然醸造の伝統的な醤油から卵かけごはん専用のだし醤油、カツ丼の素、さらには醤油をつかった焼き菓子まで、さまざまな商品が並びます。おすすめは、タレの醤油にこだわった2種類のみたらしだんご。併設のギャラリーでは、企画展「新島襄・八重と有田屋」も開かれているので、ぜひ立ち寄ってみてください!

有田屋

住所…安中市安中2-4-24
営業時間…10時~17時
定休日…不定休
TEL…027-382-2121

地図
  • 掲載した店舗・施設は、定休日以外に臨時休業となる場合もあるので、ご了承ください。
  • 一部取材先より画像をお借りしています。

■次回は上毛かるた「き」の札をご紹介します。