許諾第05-010901号
内村鑑三(国立国会図書館蔵)
明治・大正時代のキリスト教伝道者として知られる、内村鑑三。聖書研究のかたわら、キリストの真理を日本で広めようと尽力しました。教派や神学に縛られることなく、聖書にのみもとづく「無教会主義」は、鑑三が提唱した日本独自の信仰です。
また、鑑三は、日露戦争前に発表した「非戦論」でも知られています。当時、戦争に反対する鑑三の主張は、強い反発を受けました。しかし、悲惨な戦争をへて、人々はその正しさに気づくことになったのです。
『上毛かるた』では、鑑三の戦争反対の考えや生き方を大切なこととして、日本の将来を導く明かりにたとえ、「心の燈台」と表現しています。そんな群馬が誇る名士、鑑三のゆかりの地をほぺたんが訪ねました!
『上毛かるた』のおかげで、その名前は群馬県民なら誰もが知っています。しかし、出身地が高崎であったことをご存知でしょうか。鑑三の父親は、高崎藩の要職に就いていました。鑑三は1861年、高崎藩の江戸屋敷で生まれ、少年時代のひとときを高崎で過ごしました。高崎城の近くにあった住まいは、今はもう残っていません。跡地には、「内村鑑三先生居宅跡」と刻んだ石柱が建っています。
少年だった鑑三は、友人とともに魚を捕まえて烏川で遊びました。のちに札幌農学校に進み、水産学を学びますが、烏川で生まれた自然への興味が、専攻を決めるきっかけとなったそうです。
札幌農学校はかつて、「少年よ、大志を抱け」という名言を残したクラーク博士が教鞭をとった場所。鑑三が入学したとき、クラーク博士はアメリカへ帰国していたものの、キリスト教精神にもとづく校風は色濃く残っており、ここで信仰に目覚めました。
アメリカへ留学したのち、鑑三は西洋の思想を日本に取り入れようと専念しました。その一方、『代表的日本人』をはじめ英語による著作を発表し、日本の伝統的精神を海外へと紹介しました。
高崎城址
「内村鑑三先生居宅跡」の石柱
烏川のそばに建つ頼政神社
「上州人」の碑
1961年、鑑三の生誕百年を記念してつくられた「上州人」の碑
このように世界的思想家として活躍した鑑三ですが、その心には常に故郷への思いがあったと言います。ほぺたんが頼政神社の境内で見つけた石碑には、漢詩「上州人」が刻まれていました。鑑三がこの漢詩をつくったのは、1930年、亡くなる直前のこと。石碑は、さらにその約30年後、かつて鑑三が遊んだ烏川を臨む場所に建てられました。長年、引き継がれてきた鑑三の教えは、今もなお、人々の心を照らしています。
高崎城址の近くで見つけた、おにぎりの専門店「だるまだるま」。おなかが減った取材班は、こちらでランチをいただきました。おにぎりの具は、梅や鮭、肉そぼろなど約10種類から選ぶことができます。丸ごと1個の煮卵が入ったおにぎりは人気の一品。素材はすべて、全国各地から厳選されたものばかりで、セットメニューの味噌汁には野菜や油揚げがたっぷり。おいしくてあっという間にたいらげてしまいました!
住所…高崎市鞘町80 タイムズビル1F
営業時間…11時~14時(平日)、10時~15時(土曜・日曜・祝日)
定休日…水曜日
070-5011-8643
■次回は「む」の札をご紹介します。