許諾第05-010901号
西の大峰山と東の三峰山の谷間を流れる利根川。その上流に架かる月夜野橋を渡り、坂道を登った高台に「茂左衛門地蔵尊千日堂」はあります。ここは、月夜野の英雄、杉木茂左衛門をまつった地。上毛かるたでも「天下の義人」と謳われる茂左衛門とは、どのような人物だったのでしょうか。
茂左衛門の偉業を知るには、三百年以上前にさかのぼらなくてはなりません。その頃、沼田藩の領民は、厳しい税の取り立てに苦しめられていました。年貢の納められない家にはお年寄りから子どもまで容赦なく罰が与えられ、餓死してしまう百姓や、田畑を捨てて逃げる者までいました。
こうした惨状を何とかしようと立ち上がったのが、茂左衛門でした。藩主の悪政と領民の困窮を訴えた書状を携えて、江戸へ向かったのです。当時、将軍に直訴することは重罪。
それは命がけの行動でした。
茂左衛門地蔵尊千日堂
茂左衛門にとって、将軍はいわば雲の上の存在。会うことはおろか、お城に入ることもできません。茂左衛門は知恵を絞り、金菊の紋を描いた文箱を用意しました。そして、この文箱に大事な訴状を入れ、わざと茶屋に置き忘れるのです。文箱を見つけた茶屋の亭主は、金菊の紋を見て宮家の忘れ物だと思い、東叡山輪王寺宮へと届けました。こうして東叡山輪王寺宮から将軍、徳川綱吉の手に訴状が渡り、茂左衛門は直訴に成功したのでした。
茂左衛門の碑
茂左衛門地蔵尊千日堂 本堂
領民たちは、自分たちを救ってくれた茂左衛門の死をいたみ、石地蔵をつくり、千日間にわたって供養を行いました。のちに、石地蔵を納めるため建てられたのが、冒頭に登場した千日堂です。現在、本堂の横には資料室がつくられ、茂左衛門の偉業が物語絵(右の写真)となって紹介されています。
上毛かるたの絵札になった千日堂。その背景に月が描かれているのにお気づきでしょうか。これは地名の起こりに関係するのだとか。平安時代、京の歌人、源順がこの地を訪れたときのこと。三峰山から昇る月を見た源順は、「よき月よのかな」と深く感銘し、歌を詠んだそうです。このことが、今も残る「月夜野」という名の由来といわれています。
今回、千日堂を訪問した取材班は、地元の方から茂左衛門の功績や月夜野の逸話をたくさん聞かせてもらうことができました。取材後は足を延ばし、矢野親水公園の中にある「月夜野はーべすと」へ。旬の野菜はもちろん、地元産の大豆にこだわった「つきよの納豆」をはじめ、お漬物やジャム、ジュースなど新鮮な野菜や果物でつくった食品がたくさん。どれをおみやげにしようか悩んでしまいました。
利根郡みなかみ町月夜野2936
営業時間…9時~17時半(4~10月)、9時~17時(11~3月)
定休日…年末年始 12~3月第2、4水曜
0278-20-2123
■次回は「そ」の札をご紹介します。