許諾第05-010901号
養蚕・製糸・織物などの絹産業で栄えた群馬。なかでも前橋は上毛かるたで「県都前橋生糸のまち」と謳われています。「生糸のまち」として栄えた時代の面影を探しに、ほぺたんは前橋を訪ねました!
まずやって来たのは、国道17号沿いの住吉町一丁目の交差点です。この交差点の角に建つ石碑の表面には「明治三年 日本最初の機械製糸場跡」と刻まれています。世界遺産に登録された「富岡製糸場」が官営模範工場として開業したのは明治5年。実は、それより2年も前に藩営の「前橋製糸場」が操業を始めていました。前橋製糸場は小さな規模だったものの、全国に器械製糸技術を広める拠点となったそうです。
前橋製糸場跡に建つ石碑
前橋製糸場の跡地から50メートルほど歩くと、そこには広瀬川がゆるやかに流れています。この川の水力を工場の動力として利用するため、前橋製糸場の場所は選ばれたのだとか。現在、広瀬川にかかる厩橋のそばには、「生糸のまち」の歴史を伝える「前橋残影の碑」があります。
明治時代、前橋製糸場の周辺では新たな製糸場が次々に操業を始めたそうです。当時の前橋は生糸の大集散地。「マエバシ」と記された生糸がヨーロッパなどへ輸出され、その名前は絹産業の盛んな地として国内外に知れわたりました。
厩橋のそばにつくられた記念碑
さて、今度は前橋市役所前にやってきたほぺたん。大きくて立派な銅像をじっと見上げました。この銅像のモデルとなった下村善太郎は、幕末から明治にかけて活躍した生糸商人です。生糸の輸出業で蓄えた富を惜しみなく使い、前橋の発展のため力を尽くした下村善太郎は、前橋に県庁を置くことを明治政府に提案するなど、「県都前橋」の礎を築き、初代前橋市長にもなりました
前橋の発展に尽くした下村善太郎
昭和30年代の半ばごろまで、製糸業は基幹産業として前橋の発展を支えてきました。化学繊維の普及にともない、前橋の製糸業はその役割を終えましたが、市内には「生糸のまち」の面影をとどめる建物が今も多く残されています。
住吉町にある「旧安田銀行担保倉庫」は、大正2(1913)年につくられ、銀行の担保物件として集められた生糸や繭の保管倉庫として利用されていました。また、「敷島公園 ばら園」には、カイコの飼育方法や品種改良などの研究を行っていた建物が移築保存されています。現在は「前橋市蚕糸記念館」として利用されており、養蚕や製糸に使われた道具をはじめ、貴重な資料を見ることができます。
赤レンガの旧安田銀行担保倉庫
100年以上前につくられた建物を利用した「前橋市蚕糸記念館」
「前橋市蚕糸記念館」の開館は4月〜11月の土曜、日曜、祝日のみですが、「敷島公園 ばら園」で「ばら園まつり」が開かれている期間は記念館も特別に連日開館されるそうです。ばら園まつりは、毎年、バラの花が園内を美しく彩る5月中旬〜6月上旬、10月中旬〜11月上旬に開催されており、期間中、園内はさまざまなイベントでにぎわうのだとか。今度はバラの見ごろに合わせて前橋を訪ねたいと思います!
住所…前橋市敷島町262
営業時間…9時~17時
休業日…年末年始
TEL 027-232-2891
■次回は甘楽郡下仁田町をご紹介します。