許諾第05-010901号
塩原太助は、江戸時代、沼田藩の城下であった羽場村(現在のみなかみ町)に生まれました。後の世まで名が伝わる塩原太助とは、どんな人物だったのでしょうか。ほぺたんは、太助の故郷に建つ「塩原太助記念館」を訪ねました。
太助が愛用した品々や当時の資料を収蔵する「塩原太助記念館」。太助の生涯と功績が、映像や絵物語などで詳しく紹介されています。太助の生涯をまとめた年表によると、太助が江戸へ旅立ったのは19歳のときでした。仕事を見つけられず途方に暮れていたところ、炭屋の主人に出会います。この主人の厚意によって炭屋で奉公を始めた太助は、朝から晩まで勤勉に働きました。その姿は「奉公人の鑑」と言われるほどだったそうです。
ほぺたん、塩原太助記念館へ
太助の生涯を愛用品とともに紹介
炭に関する資料なども展示
長年にわたる奉公の後、自らの店を構えた太助。江戸屈指の炭商人となっても、豊かな暮らしに甘んじることなく、こつこつと働き続けました。
さらに、太助の偉大なところは、稼いだお金を人々のために使い、世のために尽くしたことです。榛名湖町の天神峠には、太助が寄進した常夜灯が今も残っています。この常夜灯は、闇夜に峠越えをする旅人にとって、とても心強い存在になったのだとか。太助はほかにも、悪路を補修したり、無料の休憩所を街道につくったり、多くの私財を公益事業へ投じました。
太助の名声はその死後も途絶えることなく、明治時代初め、落語家の三遊亭円朝が人情噺「塩原多助一代記」を世に出しました。苦労と努力の末、成功を掴んだ偉人の物語は人気を集め、のちに歌舞伎でも演じられるようになります。太助がずっとかわいがってきた馬のあおに別れを告げ江戸へ旅立つところは名場面として知られ、上毛かるたの札にも描かれています。
塩原太助翁顕彰碑
報徳太助神社
ほぺたんは「塩原太助記念館」を見学した後、隣にある「塩原太助翁記念公園」へ。公園内に建てられた記念碑は、見上げるほどの大きさ。その左側には、太助とあおをかたどった像も建てられています。互いに寄り添う姿を見たほぺたんは、どんなに悲しい別れだったのだろうと思いました。
このほか、公園内には、太助の名前を冠した神社もあり、時代を越えて今もなお太助の功績をたたえ、世に伝えています。
「塩原太助と愛馬あお別れ之像」(塩原太助翁記念公園)
「塩原太助記念館」は、古民家を利用したとても趣のある空間。敷地内には、農産物直売場や郷土料理の食堂もあり、「太助の郷」と呼ばれています。記念館で太助の人柄や生き方に触れた後、地元産の採れたて野菜や旬の果物が並ぶお店にもぜひ立ち寄ってみてくださいね!
住所…利根郡みなかみ町新巻497
開館時間…9時~16時(12月~3月)、9時~17時(4月~11月)
休業日…木曜(12月~3月)、無休(4月~11月)
0278-64-1166
■次回は「邑楽郡邑楽町」をご紹介します。