るっく&WALK

NO.166 上毛かるた「わ」の札(2016年2月号)

上毛かるた 「む」の札
るっく&WALK in 藤岡市

世界に誇る江戸の数学者

関孝和(せきたかかず)は、江戸時代初め、藤岡の武士の家に生まれたといわれています(注)。生涯にわたって数学の研究を続け、「和算」の発展に貢献しました。

和算とは、中国から伝わった数学の理論を日本独自に発展させたものです。日本が鎖国をしていたころ、関孝和は西洋の影響を受けることなく、円周率や体積の計算方法などを考え出しました。

日本独自の数学文化が花開いた江戸時代。偉大な和算家の名前は世に広まり、俳句の松尾芭蕉(俳聖)や茶道の千利休(茶聖)とともに、関孝和は「算聖」と呼ばれるほどだったとか。また、同時代に活躍したイギリスのニュートン、ドイツのライプニッツとともに世界三大数学者の一人に数えられています。

関孝和像と算聖之碑の写真

関孝和像と算聖之碑

関孝和像

関孝和像

算聖之碑の写真

算聖之碑

関孝和の墓(光徳寺)の写真

関孝和の墓(光徳寺)

現在、藤岡市内には、郷土の偉人を讃えてつくられた「算聖之碑」と「関孝和像」があります。関孝和はどのような生涯を送ったのでしょうか。立派な石碑を眺めながらほぺたんは関孝和が生きた時代を思い浮かべました。

残念ながら、関孝和自身に関する資料はあまり残されていません。幼くして大人の計算の誤りを指摘したという逸話が伝えられるものの、どのように学問をおさめたかなど、その生涯には多くの謎が残されています。

数少ない資料から、関孝和が30歳のころ、甲府藩主の徳川家につかえ、勘定所の職務を監査する勘定吟味役(かんじょうぎんみやく)を務めたことがわかっています。その後、主君に従って江戸へ移り、将軍家の財産管理をつかさどる御納戸組頭(おなんどくみがしら)として働きました。

宝永5年(1708年)に江戸で亡くなった関孝和は、東京・弁天町にある浄輪寺に埋葬されました。しかし、関孝和を慕う地元の人々によって、藤岡市内の光徳寺にもお墓がつくられたそうです。孝和が残した偉大な業績は「関流和算」として多くの弟子たちによって受け継がれ、さらに高度な数学へと発展しました。尊敬する人物の名前を音読みにする古い時代の習慣から、関孝和は「こうわ先生」と呼ばれ、死後も なおあつく敬われてきました。

和算が発展した江戸時代、数学の難問を解きその解法の美しさやすばらしさを競い合い、それを記した額を神社仏閣に奉納する「算額」という風習があったそうです。群馬県内だけでも80面の算額が見つかっており、奉納者の多くは関流和算家だったのだとか。藤岡市内の秋葉神社には、関流和算家の岸幸太郎が明治7年(1874年)に奉納した算額が残されています。

(注)関孝和の出生地については諸説あります。

編集部だより

取材帰り、おみやげを求めて立ち寄ったのは、明治38年創業の和菓子店「虎屋本店」。しっとりまろやかに焼き上げた生地を使った、人気のどらやき。そのほか、藤岡名産の瓦をモチーフとした「瓦せんべい」や「瓦最中」、お団子や四季を美しく表現した生菓子など、どれもおいしそうで目移りしてしまいました!

虎屋本店

虎屋本店の写真

住所…藤岡市藤岡138
開館時間…9時~19時(水曜18時閉店)
休業日…年中無休
0274-22-0188

地図
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  • 一部取材先より画像をお借りしています。

■次回は「佐波郡玉村町」をご紹介します。