コープぐんまは2026年に70周年を迎えます。
地域の皆さまとともに歩んだ70年間。その間、コープぐんまに関わっていただいた組合員さんにインタビューさせていただく「生協とともに」をスタートしました。
それぞれのコープぐんまとのつながりのお話を伺いました。
第10回は富岡市で生協立ち上げの後、職員として働いていた泉部正子さんにお話しを伺いました。
笑顔でお話しされる泉部さん
泉部さんが初めて生協に出会ったのは、今から約50年前、30歳の頃でした。所属していた「新日本婦人の会」の活動の中で「子どもたちに安全で安心な食品を食べさせたい」という強い思いから、生協の利用を考えました。
しかし、当時は泉部さんが住む富岡市では生協の仕組みがなく、藤岡市で活動していた「多野藤岡消費生協」で利用を始めました。甘楽富岡地域は「多野藤岡消費生協」の活動範囲外のため、商品は配達してもらえません。そのため、「多野藤岡消費生協」の班の1つとして登録し、泉部さんが仲間たちと藤岡市から富岡市まで配達商品を運ぶことになりました。
その後生協商品の評判が高まり、一緒に生協を利用したいという仲間が次々と増えました。その声に応えるため、泉部さんは仲間たちと「甘楽富岡市民生協協同組合準備会」を立ち上げ、甘楽富岡地区での生協設立を目指しました。富岡地域の様々な婦人会に協力していただいて仲間づくりを進め、1976年6月27日に会員244名、半数40班で設立総会を迎えました。利用者が増えたことから、富岡市内に空き家を借りて事務所にし、アルバイトを雇って藤岡市から事務所まで商品を運ぶようになりました。それでも、事務所からそれぞれの組合員の班までの配送は、引き続き泉部さんが運ぶ地域もありました。
「当時は子どもが3人いて一番下の子は1才3カ月でした。悩みましたが、夫が『本気で生協の活動をしたいなら応援するよ』と背中を押してくれたので飛び込みました。大変でしたが、一緒に活動をしていた堀田さんをはじめとする仲間がいたことや、商品を届けた時の組合員さんの笑顔が嬉しくて頑張れました。商品を届けるときに、子どもと一緒に商品を届けることもありました。途中で子どもがトイレに行きたくなってしまい、組合員さん宅のお手洗いを借りることもありましたよ。」
1975年多野藤岡消費生協は西部市民生協となり、活動範囲が広がることになりました。甘楽富岡地域の組合員も生協を利用できるようになり、そのまま泉部さんは生協の職員になります。宅配の副センター長や営業担当、ミニコープ店長などを任された後、組合員活動部で活躍後定年退職されました。現在は一緒に働いていた堀田さんをはじめ、配達や組合員活動で知り合った方々とともに「すみれコープ会」に所属しています。
「生協が大好きなので、楽しく仕事ができました。たくさんの人と出会い、たくさんの経験をさせてもらいました。好きな商品は『岩手県葛巻3.6牛乳』です。この商品は昔からコープぐんまの産直商品として扱っている商品で、宅配センターの仲間と見学に行ったこともあります。昔から飲んでいる、ずっと好きな牛乳です。」
コープぐんまの土台を作り、パワフルに活躍された泉部さん。これからも笑顔で過ごされますように。