コープぐんまの組合員広報誌「ほっと」2024年8月号

コープぐんまの組合員広報誌「ほっと」をご紹介します。生活協同組合コープぐんま


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エピソード46花の駅コープデリグループの組合員数は約530万人。組合員の皆さんの数だけ、物語がある。その物語を毎月一つお届けしていきます。描いているのは皆さんのくらしとコープデリの接点。あなたの物語はどんな物語ですか。と長野県で約30年、宅配をご利用いただいていた上かみくら倉千代子さんが82歳で亡くなった。おコープデリ中野センターの職員・石井さんは、千代子さんの脱退手続きと、宅配の継続が可能かどうかを尋ねるため、夫である直な「宅配は妻が全部選んで注文していたんです。注文の仕方もよくわからないけれど、牛乳1本、毎週届くようにしてください」人さんを訪ねた。そういって直人さんはコープデリ宅配の継続を決めた。大工だった直人さんと理容師だった千代子さんの結婚生活は約55年。千代子さんが3歳年上で「大きな声を上げることもないし、みんなに本当にやさしくていい母ちゃんだねって言われていたよ。カレー、麻婆豆腐、煮物にきんぴら……いろいろ作ってくれました」と直人さんは少し寂しそうな笑顔で語る。57上倉夫妻は、1982(昭和)年から長野県と新潟県の県境にある栄村で、JR飯山線横倉駅の駅長を務めてきた夫婦だった。旧国鉄時代、当時は10往復(現在は8往復)、乗日に1降人数の少なかった横倉駅の管理が民間委託となり、駅の目の前で理容室を営んでいた上倉さんに白羽の矢が立った。当時現役の大工だった直人さんではなillustration:MaikoDakeく、千代子さんが駅長になった。それ以来、2人で助け合いながら40年以上、駅を守ってきた。いつからか夫婦は駅の周りに花を植え始めた。毎年駅の花壇にはたくさんの花が咲き、横倉駅はみんなから「花の駅」と呼ばれるようになった。「妻も妻のお母さんも花が好きでね。水をあげるのに毎日1時間くらいかかるよ。でもみんなが花を見て、喜んでくれるのは張り合いもあった。宿根草もあるし、2人で種をまき球根も植えて毎年育ててきました」………§………駅を守ることは容易なことではなかった。直人さんはいう。「とにかく時間を気にする生活。休みもない。今でこそ慣れたけど、ああ、始発がなかったらまだ寝ていたなとか、思ったこともある。泊まりでどこかに行くこともできない。だけど広範囲の人たちが利用している駅だから、毎日いろんな人と会って、顔なじみとちょっとした話をして。そういう交流ができるのはきっと妻にとっても良かったと思うよ」2011年3月12日に栄村は震度6強の地震に見舞われた。横倉駅の駅舎は大きく右に傾き倒壊の危険があると判断され取り壊され、夫妻も店舗兼自宅を失ってしまった。「避難所生活から飯山へ避難、1年半後には仮設住宅ができて、その後現在の災害復興住宅で暮らし始めました。駅舎は約5カ月後の8月下旬には再建され、飯山から通って駅長としての仕事をしていた時期もありました」どんな状況下でも、2人は最善を尽くしてきた。千代子さんを失い、直人さんはこれからひとりで駅長を続けなければならない。大変だが、駅はいつも千代子さんの姿があった大切な場所だ。直人さんは最近では、コープデリ宅配の注文の仕方を石井さんから教わって、牛乳以外のものも注文するようになった。食材はもちろん、日用雑貨や花の苗を注文することもある。料理も作る。「自分で作らないと食べられないからね」、そう笑顔で言う。2人で守ってきた、思い出がたくさん詰まった横倉駅。雪が解けて春が来て、今年は直人さんが植えた種や球根が花を咲かせ、駅を通り過ぎる人たちの心を潤わせている。過去の物語もこちらから読めますあなたのエピソードをお寄せください。コープ職員との心に残る出来事を随時募集しています。氏名・電話番号・組合員コードを記入し、郵便(〒336-8526埼玉県さいたま市南区根岸1-4-13コープデリ連合会コミュニケーション推進部宛)か、左記のWeb応募フォームよりお送りください。♦実際にあったコープに関わる人と人との交流を取材し、読み物の形にまとめています。登場する人物の名前は仮名の場合があります。イラストはイメージです。07


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